2008年03月19日

張飛について

張飛も劉備と関羽と「桃園の誓い」をし、義兄弟となっている。
張飛は、関羽と共に「兵一万に相当する」といわれたが、そのことを象徴的に伝えるのは長阪の戦いだろう。208年、荊州にいた劉備が曹操軍に追われて、妻子を捨てて逃げていた時、張飛はわずか二十騎の兵を連れて殿の軍を務めた。そして敵に向かって、「張益徳とは俺のことだ。命をかけて戦うというなら、かかってこい!」と叫んだという。すると敵は誰も近づこうとせず、おかげで劉備たちは危うく逃げ切ることができたという。(実は橋を落として曹操軍が川を渡れなかったというのが史実らしいが、、、)
他にも後の、漢中で魏の名将張コウを50日にもわたる激戦の末破り、命からがら撤退させている。この戦いでは、精鋭一万人を率いて山道の隘路を利用して迎え撃つ計略を立て、成功させている。(この計略のため張コウは、大惨敗を喫している)計略や用兵でもかなり優秀だったといわれている。しかし張飛の活躍は正史にはほとんど残されていない。
また、三国志演義では、張飛の酒癖の悪さが多々あげられていて、劉備に「酒を飲むなよ」と釘を刺されていたにも関わらず大酒を飲んで酔っぱらって、呂布に下ヒ城を奪われるという失態を犯している。しかし、彼の名誉のためにもいっておくが、史実では酒による失態はなかったとされている。
さて、張飛だが関羽の仇を討つために呉討伐軍が出撃する間際、部下により殺害されてしまった。この部下は、張飛の首をもって呉に亡命してした。残念なことに、張飛は「身分の高い人には腰が低かったが、低い者には酷薄だった」ためだとされている。
ここで劉備は義兄弟の2人を失ったのであるが、この2人が生きていればまた違った三国志が見られたのではなかっただろうか。
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posted by ノンタン at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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